11. 岩国に眠る

岩国市葬を伝える防長新聞 平成8(1996)8.10
岩国市葬を伝える防長新聞 平成8(1996)8.10

 

宇野千代之墓(岩国市・教蓮寺)
宇野千代之墓(岩国市・教蓮寺)

平成8年6月10日午後4時15分、宇野千代は虎ノ門病院(東京都港区)にて、98年の生涯を閉じました。葬儀は東京品川の桐ケ谷斎場で行われ、後日、青山葬儀所で行われた「お別れの会」には1300人が最後の別れに訪れました。
岩国では、同年8月9日、名誉市民である宇野千代を送る岩国市葬が行われました。会場は千代が講演した岩国市民会館大ホール。約900人が参列しました。

<防長新聞 平成8年8月10日>
祭壇中央には白菊の花に囲まれた宇野さんの遺影。周囲に宇野さんが生前こよなく愛した桜と錦帯橋を配し、舞台左右には、東京の「お別れの会」の式場で飾られた高さ四㍍の枝垂れ桜が二本飾られた。桜のそばには、宇野さんが88歳の米寿の祝賀会で着用した黒地に桜の花びらの大振袖(根尾村の桜館展示品)を配置…
式典では、まず存りし日の宇野さんの映像を約十分間上映。来賓・主催者が登壇の後、喪主の藤江淳子さんに抱かれた遺骨が入場した・・・
ライトアップされた枝垂れ桜の枝は空調の風で静かに揺らぎ、天井から桜の花びらがはらはらと舞うという演出の中、式は静かに進行。「私は幸福の種をまく花咲かばあさんになりたい」という宇野さんの元気な声が流れると、壇上の藤江さんら遺族をはじめ、場内でも涙をぬぐう姿が見られた。
生前の宇野さんが大好きだったという明治時代の小学唱歌「桜井の別れ」が流れる中、貴舩悦光葬儀委員長以下壇上の30人が次々と白菊を献花。親族を代表して藤江さんは「先生の遺骨は川西の教蓮寺に埋葬します。ふるさとがこんなに近くなって、先生はどんなに喜んでおられるでしょう…」とあいさつした。
式典終了後の午後2時過ぎ、遺族と貴舩市長(当時)ら市関係者、宇野千代後援会会員ら約100人は、宇野さんの遺骨・遺影とともに宇野さんの生前愛した錦帯橋を渡った。

宇野千代は現在、生家近くの宇野家菩提寺・呑海山教蓮寺の墓所に眠る。
死後、正四位勲二等瑞宝章が追贈されている。