
明治30年(1897)11月28日、宇野千代は山口県玖珂郡横山村三二九番屋敷(現・岩国市川西町2丁目9番35号)に生まれました。
名橋・錦帯橋が架かる錦川の西側にあたります。

父の名は宇野俊次(42)、母はトモ(24)。トモは千代を生んで1年半後に肺結核で亡くなりました。
そして千代は、しばらくの間、高森(現・岩国市周東町)の父の実家に預けられています。父の実家・宇野家は代々の造り酒屋で財産家でした。

--「その高森の廣い往還を思い出すたびに なぜあの山奥にふいにあんな美しい町並みがあったのか不思議に思ふ」--(宇野千代著『或る一人の女の話』より)
生母・トモが亡くなった翌年、父・俊次は佐伯リュウ(17)と再婚。その後5人の子供を授かっています。千代は「小さいお母さんになったような心持」(『わたしの青春物語』)で異母弟妹の面倒をよく見ました。

千代は、岩国尋常小学校を卒業し、玖珂郡立岩国高等女学校(現・岩国高等学校)に進学しました。成績抜群で、校友会雑誌には千代の文才をうかがわせる作文が掲載されています。
