8. 岩国での講演

講演する宇野千代 国際ソロプチミスト岩国会報第5号より
講演する宇野千代 国際ソロプチミスト岩国会報第5号より

『宇野千代全集』が刊行された昭和52年(1977)には、宇野千代後援会が発足しました。千代の満80歳のお祝いを兼ねてその発足会が岩国で催されたとき、千代はこのように挨拶をしています。

--62年前、私はこの田舎から都会へ出てまいりました。それは志を立てて郷関を出づと言うのとは全く反対なんです。私はこの町から逃げ出して行ったんです・・・
月日が経ちました。都会へ出たのちの私も、やっぱり人には褒められないような行いが多かったと思います。それは私自身でも認めております。それでもやはり、田舎が恋しくなって、帰りたいと思うことが度々ありました…
家を直したりしますと、前のことは忘れて、一年に五遍も六遍も帰って来るようになりました。そうしていますうちに、あの、故郷の人には容れられないと思い込んでいたのは私の間違いで、私の一人相撲で、自分一人が故郷の人々を拒否していたのだと分かりました・・・
私を二歳のときから育ててくれた継母のリュウに対して、私はこう言ってやりたいのです。『お母(かか)、よう見ておみい。今日も私の会をやって下さるという方が、こんなに大勢集まって、私のためにいろいろ考えてくだすっているんです』こう言ってやりたいのです。
皆さん、ありがとうございます。--

(「山口県医師会報」三島友之氏の寄稿文より)

また、その7年後の昭和59年(1984)6月9日、86歳の千代は、大ホールを埋め尽くした岩国市民の前に立っていました。(国際ソロプチミスト岩国創立5周年記念講演「生きて行く私」)。集まった市民は大ホールに入りきらず、別のホールでテレビ視聴に回るほどでした。
講演の最後、千代はこんな言葉で締めくくりました。

「岩国の皆様、私の今までして来たおかしなことを許してください」。会場は一瞬静まったあと、すぐ万雷の拍手が沸いた。「許してください。また、岩国へ帰って来ます。錦帯橋も桜も日本一です。私は日本一の故郷を持った日本一の幸福な者です」。千代はホールを揺るがす拍手に送られて退場しました。(国際ソロプチミスト岩国会報第5号1985年より)