ゆかりの地

宇野千代生家

生家は、錦帯橋から徒歩20分の旧山陽道沿いにあります。宇野千代自身によって、昭和49(1974)年に、ほぼ昔のままに修復されました。 現在の庭は梅、桜、紅葉、苔で彩られる日本庭園となっており、毎年秋には宇野千代を偲んで茶会が開かれます。 作品「薄墨の桜」のモデルとなった、岐阜県根尾村の老樹(樹齢1400年)に由来する桜も植えられています。

ゆかりの地

鍛冶屋町(米屋町)

「おはん」でおかよの芸者屋があった通り。

幸福の言葉

幸福の言葉 設置場所

宇野千代の作品の文章や言葉を「幸福の言葉」として看板を設置しています。 全部で16か所あります。ぜひ探してみてください。

石碑

宇野千代文学碑

宇野本家屋敷の一角にある。 碑面には『或る一人の女の話』の一節が刻まれている。

石碑

鞍掛合戦追悼碑(千人塚)

鞍掛合戦追悼碑は、岩国市周東町の鞍掛山城周辺にあり、戦国時代の鞍掛合戦で討ち死にした人たちを供養するために建てられた。 黒御影石の慰霊碑に、千代が「史跡千人塚に想ふ」の碑文を書いている。

小説の舞台

水西書院

千代の小説「水西書院の娘」の舞台となった。 旧岩国藩主吉川家の新邸が完成するまでの間利用していた仮住居であり、井上馨や皇室関係者を迎えたこともある由緒ある建物である。 明治19年に建設され、明治21年吉川邸完成後は吉川家の接客所としての役割を担った。 昭和25年頃に岩国市の所有となり、現在は貸室や集会所などとして活用されている。 1階は15畳の座敷2室と畳敷の縁が廻り、2階は30畳の大広間に板敷の縁を廻らせて、座敷を中心とした構成をとっている。 北に正面を向け、城山や現在、錦川の土手で隠れて見えない錦帯橋も河原の向こうに見渡すことのできた風流な邸宅である。 国登録文化財となっている。

小説の舞台

妙見社(妙見堂)

「水西書院の娘」に登場。

石碑

紅葉谷公園/おはん文学碑

紅葉谷公園内に「おはん」の文学碑があります。 小説「おはん」で、おはんの登場する冒頭の一節が刻まれています。

石碑

吉香公園/宇野千代顕彰碑

吉香公園内にある宇野千代顕彰碑には、千代の名言「幸福は幸福を呼ぶ」という言葉が、千代の直筆によって刻まれています。

ゆかりの地

錦帯橋

千代も渡っていた錦帯橋。手紙でも紹介していました。 わが故郷岩国の錦帯橋は私にとりまして、  日本中に自慢しても自慢しきれないほどの大切な橋でございます。 錦帯橋は国指定の名勝であり、日本を代表する木造橋です。 橋の長さは、約193メートル(橋面に沿って約210メートル)、幅は約5メートル。 春は桜、夏は鵜飼いや花火の夜景、秋は城山の自然林の紅葉、冬は雪化粧と、四季折々の色彩豊かな景観が楽しめます。

小説の舞台

深川

「水西書院の娘」に登場する料亭。

小説の舞台

半月庵

「おはん」に登場する料亭。現在は旅館。

小説の舞台

よしだ

「おはん」に登場する花屋があったところ。 現在、近くには「よしだ新館」という料理屋がある。

ゆかりの地

岩国学校教育資料館

1871年に建てられた藩立岩国学校の校舎。 東芝の創始者の一人、藤岡市助や文豪国木田独歩、作家宇野千代などがこの学校で学び、当時のさまざまな教育資料や民俗資料、郷土資料を展示しています。

ゆかりの地

鉄砲小路

千代のおばの家があった通り。

小説の舞台

龍江淵

錦川が淀み、水深5メートルを越える淵となっています。 おはんの息子・悟が命を落とした場所。

小説の舞台

臥龍橋

おはんと加納屋が再会する橋。

小説の舞台

大師院

おはんと加納屋の新居は、この「お大師さま」の近くにあった。

ゆかりの地

教蓮寺/宇野千代の墓所

川西の浄土真宗西本願寺派の寺で、宇野千代の墓所が本堂の前にあります。 かたわらには淡墨の桜と紅葉が植えられています。